08 岩井賢二・六

●宮里家近辺●

葬儀が落ち着いてから旧友の家族に会うと、数冊のノートを渡された。
家で捜査の整理をするときに使っていたものなのだという。

「どうか、よろしくお願いします」

旧友の妻はそれだけを言うと静かに頭を下げた。
岩井もそれに応えた。
家に戻る時間も惜しくて車の中でノートを読む。
そこには解決しない事件の苦悩が書き記されていた。
被害者たちの関係性を模索し、容疑者を抽出する作業にのみ没頭している様が伺えた。

ノートには霊能者だという人物の名前が赤ペンで何重にも囲まれていた。

『協力者』
『だが、この選択肢は正しいのか?』
『岩井に協力を?』
『いや、奴には休息が必要だ』

そんな呟きが書き込まれていて、岩井は罪悪感に押し潰されそうだった。
冷静であろうと勤めながら捜査ノートにそんなことを書き連ねてしまう彼の心情を思うと、身を切られそうな気持ちになる。
だが、ノートを読む手を止めることはしなかった。

・被害者の特徴は奇怪な死に様であること。
・死因は、心筋梗塞であること。
・持ち物の中から、スマホのみ消失していること。

これらのことから、宮里は犯人が次の被害者をスマホ内の履歴から選んでいるのではないかと推測していたようだった。

スマホが消える。
岩井はとある少女を思い出した。
事件の被害者の姉、紅葉巴杏だ。
彼女は確か、なくなった弟のスマホから電話があったと言っていた。

「うん?」

最後のページに辿り着く。
そこに書いてあったのはいままでとは違う内容だった。

『萩堂さんが死んだ。これで奴の犯人の選び方は確定した。あの人が相談した通りのことをしてくれているなら。次に来たとしても俺の所。そして俺も予定通りに行う。スマホの連絡帳を全て消し、履歴も消去した。メールもアプリも全部だ。これで全てが終わる。俺が犯人を捕まえるか、できなかったとしてもこれで終わる。あいつを呪縛している事件も終わりだ』

「どういうことだ?」

このノートには大事な部分が抜けている。
萩堂というのは例の霊能者のことだろうが、その人物と知り合った経緯や話した内容の詳細はまったく書かれていない。
唐突に名前が現われ、そして結末だけが書かれている。

そして、連絡先を消すというのはどういうことだろう?

「お前、なにを考えていたんだ?」

いまは亡き旧友に問いかけてもその答えが得られるはずもない。
解読不可能な捜査ノートとは裏腹に、岩井は自身思考が澄んでいくのを感じた。
それは岩井のこれまでの人生で数度体験したことのある現象だ。

極度の集中力が脳になんらかの作用を及ぼし、結論へと跳躍する。
この「能力」のおかげでこれまでいくつかの局面を切り抜けることができた。
久しぶりの頭脳の冴えを感じ、岩井は興奮を覚えてさえもいた。

だが……

恐怖が岩井の足を止める。
葦江の死んだあの時の恐怖が思い出される。
ああ、そうか。
考えないようにしていたが、見えてしまった。
あの女の背が見えた。
旧友が……宮里が追いかけていたのはあの女の背なのか。
ここで、足を止めるべきだと岩井の脳内は警鐘を鳴らしていた。
自動で結論に向かうのを生存本能が止めようとしている。
見えているのは誰のものでもない岩井の死だ。
このまま進めば、岩井も死ぬことになるだろう。
葦江のように、宮里のように。

だが……

このまま自分の中にあるものを無視し続けて、それでいいのか?
宮里を失ってしまったばかりだというのに。
これからも、自分の脳が強制的に見せていく答えから逃げ続け、そして何かを失うのか?

「紅葉巴杏……?」

葬儀場で会った少女のことが脳裏をよぎった。
さあ、答えが見えてしまった。
考えろ。
そうでなければ、今度はこの人物が消えてしまうぞ?
それでいいのか?
刑事でなければそれを無視してもいいのか?
岩井賢二とはそういう人間だったのか?

「違う」

己の問いかけを噛み潰し、岩井は恐怖を乗り越えた。
さあ、それならば考えろ。
これからどうすればいいのか。

「どうしていまさら、彼女なんだ?」

紅葉巴杏。

自身の呟いた言葉の重要性を吟味すべく、岩井は目を閉じてこめかみを揉んだ。

T大付属高校事件での被害者・紅葉智司の姉。
被害者の死後に電話があったと自分に相談するほど事件の解決に強い意志を持っている。

彼女に俺を紹介したのは宮里だ。
それはつまり……

「最近まで宮里と連絡を取り合っていた?」

ノートに名前は見つからなかった。
だが、『協力者』『情報提供者』という単語は散見している。
あえて名前を記さなかった?
霊能者の名前は残しているのになぜだ?
まるで名前を記すことを避けているようだ。

「俺の名前は残ってるぞ」

ノートを何度見返しても岩井と萩堂という人物以外の名前はない。
小さな違和感の正体はこれだ。

そして……。

「最後のところにある『あいつを呪縛している事件』?」

あいつというのは岩井のことではないか?
だとすれば連想できるのは葦江の事件しかない。

「解放? なぜ、T大付属高校の事件と彼女の事件が繋がるんだ?」

『あなたが解いたのは表だけ』

葦江の遺言が脳裏をかすめる。
表……ということは裏がある。

「そういえば……『よりマシな死』と言っていたか?」

あのときはガンで強制的に死んでしまう自分に対しての代償行為を正当化しているだけだと思っていた。しかし、違うのかもしれない。

「違う……か」

違うと断言できる。
彼女のあの死に様を考えれば、確かに違う。

彼女は何かから被害者たちを救おうとした?
また、彼女は最終的に何を基準に被害者を選んでいた?

「T大付属高校事件からの被害者はスマホが消えるという共通項がある。だが、その共通項がなければつながりは見えてこなかったはずだ」

葦江にしか見えていなかったなにか。

「紅葉巴杏。どうしてその名前が出てきた?」

葦江と紅葉巴杏が何故繋がっていくのか。
どこかに理屈がある。

「いや……待てよ」

スマホによる繋がりという意味でなら、彼女には明らかな不可解が一つある。
死んだはずの弟、紅葉智司からの着信履歴。
あれこそが、一連の事件の繋がりだとしたら…

「次の被害者は、彼女か…。」