06 岩井賢二・四

●都内繁華街・居酒屋●

「三人目の名前は三間未唯(さんげんみい)」
「おい、やめてくれよ」

居酒屋でわずかに舞う煙草の臭いにうんざりとしているところで旧友はその名前を告げる。
狭い店舗内での分煙は功を奏しているとも思えない。
禁煙三日目には辛い空間だ。二週間耐えれば大丈夫という俗説を聞いたが、岩井の禁煙精神は一週間も生き残れるかわからなかった。
いや、いまこの場で死ぬかもしれない。

「まだなんの三人目か言っていないぞ?」
「それで誤魔化したつもりか? T大付属高校の事件だろ? やめてくれ」
「なんでだよ? 解決を手伝ってくれよ。名探偵候補さん」

誘いの言葉を無視して生ビールを煽る。

「解決できれば有名になるチャンスだぞ?」
「功名心を満たしたくて辞めたわけじゃない」
「わかってるさ。だが、働かなくていいほど財布は膨れていないだろ?」
「…………」
「いまさらキャリアを捨てられるかよ。それなら、開き直るべきだと思うぞ?」

旧友の誘いは正論に満ちていた。
だが……
いまだにそういう風に心を動かすと体が固まってしまう。
恐怖が岩井を縛って放してくれない。

「実際、困ってんだよ。手がかりはなにもない。なのに被害者は続いていく。使えるんならくたびれた廃業刑事だって名探偵に仕立て上げたい気分だ」
「お前……正直に言うなよ」
「はは、捜査協力者ってことで雇っちまえば名探偵も身内だ。頼むぜ」
「はぁ……仕方ない奴だ」
「お、やっとやる気になったか?」
「なってない」
「おい」
「なるわけないだろう。俺は休みたいんだ」
「お前が休んでいる間にも人は死ぬんだぞ」
「それは現職が一番刺さらないといけない言葉だろう」
「だから必死になってんじゃねぇか」

冗談めかしていた旧友の表情が変わった。

「俺に解決できないことだと思ったからお前に声をかけてんだ。捜査協力者なら前ほど上司の顔色を窺う必要もない。お前は好きなだけ真実を漁ればいい」

旧友は岩井の能力のことを知っている。
手っ取り早い解決方法だと思っているのも知っている。
だが、気味悪がらず、胡散臭がらずに受け入れてくれた人物でもある。
できれば岩井だって旧友の期待には応えたい。

「悪いな。いまは本当にだめなんだよ」
「やれやれ、重症だな」

岩井が視線を落とすと、旧友のため息が追って来た。

「まっ、だから休業中なんだよな」

視線を戻せば旧友は豪快に笑って汗を搔いたグラスを持ち上げていた。

「なら仕事の話はなしだ。まぁ飲め」
「ああ」

それに応えてグラスを掴む。

「しかし、それならなにを話せばいいんだ?」
「奥さんの話でいいだろ」
「よし、さびしい独り身野郎に家族持ちのいいところを語りつくしてやるか」
「はいはい」

そんな風に夜が過ぎていく。
旧友の話は煙草の誘惑と同じぐらいにきつかった。

 

宮里佑都・死

 

●?T大付属高校?●

ああ、畜生め。
こういうことなのか。
萩堂さんの言っていたことはこういうことか。
宮里佑都は後悔で焼け付く胸の苦しさに耐えながら走っていた。
見覚えのある廊下。
だが、似て非なる場所。
T大付属高校であるはずなのに、しかし違う場所。

「アレに捕まればおしまいです。それでも続けますか?」

萩堂の言葉を思い出し、腰が抜けそうな体を必死で支える。
-萩堂- 彼女はT大付属高校の門前にひっそりと立っていた。
何の気なしに話しかけたところ、彼女は霊視能力のある人物であることが分かった。
暗礁に乗り上げていた捜査を抱えた宮里にとってその出会いは、天啓としか思えなかった。
実際、彼女は快く宮里の頼みに応じてくれた。

「人ならざるものは人気のない場所に犠牲者を呼び寄せる。そうなったら、生半可なことでは逃げ出せません」
「だが、逃げ出す術はあるんだろう?」
「ある……かもしれません。ですが、あると思わせることがアレの思惑かもしれません」

萩堂は苦々しく表情を歪めてそう言っていた。

「あると思わせるために、私はここにいるのかもしれない」
「萩堂さん?」
「失敗する可能性の方が高いですよ?」

萩堂さんとしていた会話を思い出す。
『仕掛け』を教えてくれたのは彼女だ。
半信半疑だったが、前の前の被害者が死ぬ前に接触できたのは萩堂のおかげだった。
そして、彼女は『仕掛け』を証明するためにその次の被害者となった。
次は、宮里の番だ。
そうなるように『仕掛け』を施した。
そして、これで終わりにする。
後は……生き残るだけ。
萩堂は失敗した。

「死んで、たまるか」

死んでもいいと覚悟はしていた。
だが、実際にこの場所に来て、そしてアレに追われているとその気持ちが揺らぐ。
刑事としての責任感と使命感がひび割れていくのを感じる。

「くそっ、こんなの……」

いつだったか、旧友に話した愚痴を思い出した。
自分たち警察官はクズ野郎どもの後始末をするだけの存在ではないかと。
いましていることもまさしくそうなのかもしれない。

そんなことに命をかけなければならない自分はなんなのか?
家族がいるのに、どうしてこんなところで死ぬようなことを覚悟してしまったのか?
警察官としての正義感?
家族を残して死ぬようなことをしてまでのことなのだろうか?
刑事としての感情と家族を持つ1人の男としての感情が宮里の中で交錯する。
そして次の瞬間、今まで経験したことのない悪寒が全身を駆け巡った。

「まさか……まさかまさか」

ゾッとした気持ちを振り払えず、繰り返し呟く。

「萩堂さん……あんた……ぐうっ!」

走っていた足がいきなり動かなくなった。
つんのめり、床を転がる。

「なにが……ううっ!」

足を見ると黒いなにかが絡まっている。
髪の毛……か?

「うっ、うう……」

長い髪の毛の先はすぐそこの扉に続いている。
そこからずるりとそれは姿を現した。

硬直した死体を無理矢理に動かしているかのような物体は、ぎくしゃくとした動きで宮里に近づいてくる。

「や、やめろ……やめろやめろ!」

だが、止まらない。
立ち上がれない。
近づいてくるのを、見ているしかない。

「萩堂さん、あんた、なんのつもりで⁉」

その問いに答える者はいない。
汚れた白装束の女は……貞子は近づいてくる。

「ぐうっ!」

突然に肺が引き絞られ、宮里はもう、なにもすることができなかった。
激しい苦しみの中に沈んでいくしかなかった。