04 岩井賢二・参

●都内某所・葬儀場●

「どうしてまた俺が呼ばれたんだ?」
「まぁまぁ、いいじゃないか。どうせ暇してるんだろ?」
「暇なんて……」
「再就職先の当てがあるくせに旅行の一つもしていない。暇な証拠じゃないか」

助手席で笑う旧友兼元同僚の推理に、岩井は苦い顔をするしかなかった。
確かに岩井は暇をしていた。
前回、この男に運転手を頼まれてから十日ほどが過ぎているが、ほとんど何もしていない。
やったことといえば失業した時の手続きくらいだ。

「しばらくは失業保険で自由にできるだろ? 旅行ぐらいしておけばよかったんだ」

都合よく使われるお前が悪いとばかりに旧友は笑う。

「それで、今日は?」

反論もできず、岩井は話題を変えた。

「いつも通りの葬式だよ」
「どうしてだ? お前の担当は……」
「その担当先でもう一件、不審死だ」
「なに?」
「死んだのは前の被害者の友人。死に様は前と同じ。異常状況での心停止だ。心筋梗塞ってことになっているが……」
「死亡理由がそれぐらいしかないということか?」
「そうだな。それに二人とも……恐怖から逃げるために自分で自分を殺した、そんな顔をしている」
「自殺と言いたいのか?」
「そういうことじゃなくてだな。……ああ、写真を見ればわかるさ。見てみるか? 前の時の被害者の写真だが……」

鞄の中から捜査資料と思しき写真を取り出してきて、岩井は拒否した。

「いい。それより、俺はもう部外者だぞ?」
「意外に、お前のところに捜査協力依頼とか行くかもしれないぞ? 名探偵さんよ」
「……まだそうなると決まったわけじゃない」
「親父さんのところに就職するんだろ? 親父さん、体壊して探偵事務所の存続が難しくなっているって言っていたじゃないか」
「そうだが……」
「まぁたしかに、お前なら探偵なんかしなくても弁護士や検事にだってなれるけどさ」
「だから俺は……できればこういうことから一度離れたいんだよ」

いまでも油断すれば葦江の顔が頭に浮かぶ。
見てしまった遺書の言葉が岩井を責める。
吐き捨てるように話す岩井に、旧友は喉を鳴らすように唸った。

「……その気持ちもわからんでもないけどな。こういうのを見ていると、なんで俺たちはこんなことの後始末をしているんだと思いたくもなる」

旧友の思わぬ弱気に驚いた。

「俺たちは、罪を見逃さないために誰かを救うために犯人を捜しているのか、それとも、最低野郎どもがやらかした祭りの後片付けをしているだけの掃除人なのか……ときどき本当にわからなくなる」
「……現職がそういうことを言うなよ」
「お前が言えないから言っていやっているだけだ。俺はそれを呑み込める度量があるからな」

ニヤリと笑い、同僚は写真を鞄に戻す。
カーブの先を確認する一瞬で、岩井はそれを見てしまった。
一瞬でも見てしまえば忘れられなくなりそうな、ひどく引きつった恐怖の表情だった。
写真に貼られた付箋紙に名前が書いてある。
ああ、これがあの子の弟かと納得し、岩井は職業病的な記憶力の良さに辟易した。

駐車場に入る時に名前を見た。
「故竹垣常久儀葬儀式場」
それが今回の被害者の名前のようだ。

旧友が葬儀場に吸い込まれていくのを見送り、岩井は運転席の背もたれを下げて寝転んだ。もう車には喪服を置いていない。近寄る必要もない。
それなのに被害者の名前は脳内に刻まれてしまった。
禁煙に成功していないように職業病も癒えていない。
煙草に火を点け、換気のためにわずかに開けた窓から紫煙が抜けていくのを眺めていると誰かがそこから覗きこんできた。

「やっぱりいた」
「君はこの前の……」
「紅葉巴杏です。岩井賢二さん」
「どうも紅葉さん。それで?」
「亡くなったのは弟の友人ですから」
「それなら葬儀場に戻られたらいい」
「意地悪ですね」

煙に撒こうとするこちらの意図を巴杏は一睨みで潰す。
巴杏は制服を着ていない。喪服でもない。この葬儀のためにここにいるわけではないことは明白だった。

「前に見せた写真のこと、なにかわかりましたか?」
「死んだ弟さんからの着信かい?」
「ええ」
「警察はなんて?」
「……弟のスマホはまだ見つかっていないから誰かの悪戯だろうって」
「なら、そうなんだろうね」
「本気で言ってるんですか?」
「俺は元とはいえ警察官だよ。公式の返答がそれなら、つまりそれは警察官全員の意見っていうことになる」
「でもあなたは他の人とは違う考えを持っているのではないですか?」
「なぜ?」
「だって、あなたはいつも上司に反抗しながらも独自の捜査で事件を解決してしまう有能な人なんでしょう?」
「……誰がそれを?」
「いま、葬儀場に入った人」
「あいつ……」
「あなたなら違う答えを持っているかもと言ったのも同じ人です。刑事課から公安に栄転して、そこでもエリートだったのでしょう?」

とんでもない過大評価に岩井は顔をしかめるしかなかった。
旧友は真実を知りながらどうしてそんなことを言ったのか?

いや、わかっている。

奴はいまだに岩井を信頼してくれている。それが事実だと信じている。
「なんと言われようと、知らないことを知った振りなんてできない。君だってそんなものは期待していないだろう?」
「それは……」
「都合のいい嘘なんて聞きたくないから俺のところに来ているのだったら、やめておいた方がいい。都合の悪いことというのは、想像以上に自分の感情を制御することが出来なくなるものなんだ。」
葦江が死んだあの場面が忘れられない。
あの背を見た時、はっきりと感じたのだ。
アレこそが犯人だと。

だとすると、葦江を犯人であると断定したときの結論はなんだったのだろうか?
途中式を間違えてしまったのか?
それとも、元々そんなものはなかったのか?

どうあれ、ただ一つの失敗で揺らいでしまうような危ういものに今までずっと頼っていたのだ。
そんなものは自分の能力とは言えない。

「都合のいい刑事さんは休業中なんだ」

巴杏は岩井を睨み、俯き、ついには岩井を視界から外して離れていった。
彼女の背から怒りと悲しみが感じ取れた。
それに共感することはできる。
できるからこそ、今までは被害者の無念を払うためにこの能力を使ってきた。
だが今はもう……疲れた。

紅葉巴杏。

彼女の怒りは理解できるが、それに呼応することがいまの岩井にはできない。
岩井は、自らの無力さと押し寄せる疲労感を紫煙とともに吐き出し、虚空を見つめることしかできなかった。